1つ前の記事の
紀伊高原ゴルフクラブ脇を抜ける
町道 天野高野線の途中で分かれていた道です。
ゴルフ場の北側にある
神田という小さな集落です。読みは「かんだ」では無くて「こうだ」です。
帰ってから調べて分かったのですがこの
神田の集落は
丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)へ納める米を作っていた場所のようです。名前通り「神の田」ですね。

1つ前の記事の
町道 天野高野線の途中です。
紀伊高原ゴルフクラブの北側で戻る方向に分かれて下っていく道がありました。
(画像では左手奥)

「
神田」への矢印があります。
「この道は一部私道につき・・」との注意看板も立っています。
紀伊高原開発の名前が書いてありますが、この会社は平成17年(2005年)に破産しています。
現在は地元企業の
和島興産という会社の経営です。

地図ではここ。

後で分かるのですがこの道が
神田の集落に入る
唯一の車道です。
ゴルフ場の私道を通らないと集落には行けません。
ゴルフ場の中を下っていくようです。


右手です。

道が分かれていました。

左の道には赤コーンが置いてありました。こちらはダメですね。

右に進みます。雰囲気的にはこちらの道のほうがダメそうな感じ。

また道が分かれています。

右はダメ。

左もダメそうな感じですが進めるのはこちらです。


また分岐です。

左は見るからにダメですね。

右に進みます。下りです。


民家が見えてきました。ゴルフ場を抜けたようです。
神田の集落です。谷あいの隠れ里のような感じ。

芝生じゃなくて田んぼです。

ちょっと小高くなったところにお堂のようなものが見えていました。
神田地蔵堂という名前のようです。

ご遠慮願っています・・何だか優しすぎる注意です。
基本的に違法なのでもっと強い表現でもいいのではないかと思います。

小さな集落です。

とりあえず真っ直ぐ進んでみます。

ここで舗装が終わりました。

右に下る道がありましたが農道的な道です。

地図ではこの辺り。
戻ります。
ちょっと戻ったところです。下っていく道がありましたので進んでみます。

赤矢印方向です。

すぐに舗装が終わりました。美しい田んぼの間を抜けていきます。

左右に道が分かれていました。どちらも舗装されていません。

地図ではここ。

右はこんな感じ。地図では行き止まりですのでこちらは未確認です。

左に進んでみます。

小さな建物がありました。作業小屋では無さそう。
町石道神田便所と書いてあります。
町石道を歩く人のためのトイレでした。

トイレの裏に上っていくこんな道がありました。

この道が
町石道のようですが通行止めでした。

奥はこんな感じ。どこが崩れているのでしょうか。

地図ではこの辺り。
九度山町との境ギリギリです。
町石道には入らず車道を真っ直ぐ進んでみます。

コンクリート舗装が始まりました。


道が分かれていました。

正面はため池です。
この時は知識がなかったのでゴルフ場のものかと思ったのですが
神田応其池という歴史のある池のようです。よく見ると半島のようなところに鳥居が見えます。ちゃんと写真を撮っておけば良かった・・

左は戻る方向ですのでパス。

右に進みます。

画像では分かりにくいですが左右に道があります。

右はこんな感じ。先ほどのトイレの裏手に続いていた
町石道です。

左に進んでみます。

東屋がありました。

東屋から振り返ると
すぐそこがティグラウンドです。

インコースの13番ホールです。
町石道はゴルフ場
ギリギリを通っています。
神田応其池を越えるようにショットするようです。(
コース図)

車道に見えますのでもう少し進んでみます。

町石道の案内です。(クリックで拡大)ゴルフ場が立てたもののようです。


道が分かれていました。

左はダメですね。カート道です。

こちらが
町石道でした。もう車道ではありません。

自転車を置いてちょっとだけ様子を見てみます。

乗れないことはないですがやめたほうがいいですね。

地図ではここ。

この
神田の集落や町石道とゴルフ場の変遷を航空写真で確認しておきます。

1961年(昭和36年)ごろの航空写真です。まだゴルフ場はできていません。

1974年(昭和49年)ごろの航空写真です。ゴルフ場が造成されました。
ゴルフ場がオープンしたのは1976年(昭和51年)とのことです。

当時はまだ世界遺産の登録前でしたので特に規制もなかったのでしょうね。
「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されたのは2004年です。
今だったらこんな開発はとても無理でしょうね。
九度山町から始まって
高野町、そして
かつらぎ町・・
そろそろ飽きてきました。
一連の記事はこれで一旦終了。
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