1つ前の記事の続きです。
海岸線から
湯浅町の
栖原(すはら)という地区の山の中を上ってきました。
狭い道で
有田市側に抜けていきます。
途中に面白い場所がありました。
稲葉根社(
糸我稲荷神社元宮)です。
入り組んだ場所で道幅も狭いので普通の車ではちょっとハードルが高いかも知れません。
1つ前の記事の最後に出てきた小さな電波塔、
KDDIの
湯浅栖原M1基地局です。

奥に道が続いていますが車道には見えません。

繋がっていると思ったのですが地図でも車道が途切れています。

急な下りです。

画像右側の手すりの中を進んでいます。どう見ても車道じゃないですね。
左手には農地が見えています。

柵の脇を進んでいきます。

道が広くなりました。抜けたようです。ここで道が分かれています。

左の道はこんな感じ。柵がありましたので入っていません。

真っすぐ道なりに進みます。

コンクリート舗装が始まりました。とんでもなく急な下りです。

地図上の軽車道につながりました。

狭いですがちゃんとした道です。電柱も立っています。

右手の景色です。
広川町の風力発電所です。(未訪問)

右手に分かれる道がありました。

右手の道はこんな感じ。ここはパス。
基本的に枝道には入らないほうがいいかと思います。

道なりに進みます。

左手の枝道です。ここもパス。


まだ下っています。

別の道と合流しました。

合流地点から右です。ゆるく下っています。

地図ではここ。この道から上ってくればよかったようです。

左に進みました。こちらもゆるい下りです。



左斜めに分かれて下っていく道がありました。ここもパス。

真っ直ぐ進みます。
激坂です。
この辺りからの景色です。斜面にはみかん畑が広がっています。

アップダウンがあります。今は上り。

今は急な下りです。

道が分かれていました。

右手戻る方向の道はこんな感じ。

傷んだコンクリート舗装の急な下りです。

地図ではここ。面白そうな道ですが走っていません。

勾配が落ち着きました。


また上っていきます。


軽トラなら十分だと思いますが大きな車は厳しいかも。

左手の景色です。

小さなため池が見えていました。名前は分かりません。

左手振り返った景色です。

これは多分
1つ前の記事の電波塔だと思います。

遠くは海です。

先に進みます。堆積物多めですが舗装されています。

今は下り。
和同開珎(わどうかいほう、わどうかいちん)が出土した場所のようです。

案内板です。

上りになりました。
車だったら引き返したくなるような道です。
すぐに勾配が落ち着きました。


ちょっと構図を失敗しましたがここで道が分かれていました。

右手の道はこんな感じでぐるっと上っています。

左手に石造りの祠がありました。
役行者ですね。最近分かるようになりました。

ここは
鹿打峠という場所のようです。
鹿打坂とも案内がありました。

いま走ってきた道は
熊野古道の一つだったようです。

地図ではここ。ちょうど
湯浅町と
有田市との境です。
左の道は行き止まりですが
何かあるかも知れませんのでちょっと入ってみます。
ゆるく上ってきます。こちらの道はぎりぎり
有田市です。

何か見えてきました。

吹き流しと奥には赤い鳥居が続いています。ここは何でしょう。
(ここで出会った地元の方によればこの吹き流しは麓からでも見えるとのことです。)

左手振り返ったところにちょっとしたスペースがありました。駐車用でしょうか。

バスの待合所的な休憩所です。結構新しそう。脇に立っていた案内板の写真は撮り忘れです。
よく覚えていませんが稲荷神社の由来が書いてあったと思います。
ここからは歩いていきます。
稲葉根社と書いてありました。「いなばねのやしろ」と読むそうです。
車では困難な山の中にこんな場所が・・鳥居は割と最近に再建されたものでしょうか。




開けてもいいのか判断できませんでしたので開けていません。

覗いてみました。社殿は小さいです。

別角度から。

再建されたもののようです。

右手にあった磐座です。神様が降臨されたと伝えられる場所だと思います。

GoogleMapのスポットには
日本最古の稲荷跡と書いてありました。

この記事を書くために再度確認するとGoogleMapの表記は
日本最古の稲荷跡ではなく
糸我稲荷神社元宮に変わっていました。調べてみると
糸我稲荷神社は有田川沿いの
糸我(いとが)という集落にある稲荷社です。そちらが
日本最古の稲荷神社として知られているようです。ここはその「奥の院」的な場所ですね。

調べてみると
糸我稲荷神社は総本宮の
伏見稲荷よりも創建が60年早いとか。この時代のことですので本当かどうかは分かりません。
昔から鳥居が立っていたのでしょうか。
今は再建されていますが鳥居や社殿が古いまま残っていればもっと
異世界感があったかも。
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