和歌山市13本目。東に移動しながら気になる道を潰していきます。
JR阪和線の
六十谷駅(むそたえき)から北に進んで山の中に入っていきます。
直川(のうがわ)という地区の山の中です。
和歌山市に編入される前は
直川村です。
市道 墓ノ谷線です。ちょっと
不気味な名前ですが由来は次の記事で分かります。
奥は
林道 井関線になりますが
市道区間をこの記事でご紹介します。
市道ですが
かなりのひっそり道です。途中に小さな集落が2つあります。
ちょっと余談。阪和線利用者なら普通に読めると思いますが
六十谷って微妙に
難読ですね。
「六十」は「むそ」で「むそたに」->「むそた」だと思ったのですが調べてみると語源は違うようです。
この記事のタイトルにある
墓ノ谷が昔「
墓所谷」と呼ばれていてその読みが「むそた」だったとか。

ルート地図は次の記事の区間も含んでいます。
JR阪和線の
六十谷駅(むそたえき)からスタートです。

駅から北へ進みます。

線路沿いの道に進みます。
阪和線の電車が通っていきました。

小さな橋で川の対岸に渡ります。この辺りも住所としては
直川(のうがわ)です。
千手川沿いを進んでいきます。この道が
市道 墓ノ谷線です。


民家が途切れました。

道が分かれますが真っ直ぐ道なりです。


かなり道幅が狭いところもあります。

ゆるく上っていきます。

大関橋(おおぜきはし)を渡ります。

車がたくさん停まっていました。この辺りに何かあるのでしょうか。

奥へと進んでいきます。

左カーブです。

カーブ右手に舗装されていない道がありました。(写真の自転車は私のものではありません。)

こんな案内がありました。どちらも
青年の森で尾根コースと谷コースです。

こんな案内も。

地図ではこの辺りですが右手の道はよく分かりません。
青年の森がどこにあるのかも不明です。

左に進みました。

千手川沿いをゆるく上っていきます。


道幅がぐっと狭くなりました。

右手にこんな道がありましたが未確認です。画像では分かりにくいですがゲートがあります。
奥は草に埋もれていました。

道なりに進みます。


右手に
出世不動明王参道と書かれた石柱が立っていました。

右手戻る方向に下っているこの細い道が参道のようです。車道ではありません。
面白そうですのでちょっと入ってみます。

金属製の橋を渡ります。

橋を渡って右手に大きな木がありました。
うす姫大神という神木でした。

奥にいろいろあります。

数が多いので写真だけ貼っていきます。










これが一番奥です。

元の道に戻ってきました。
くるぶし辺りに違和感を感じたので確認すると
ヤマビルが何匹か張り付いていました。
先に進みます。

道が分かれていました。

左手の道はこんな感じ。
大福山(だいふくやま)方面です。
六十谷の住宅地にも抜けられそうです。ここはパス。

先に進みます。

ボケました。

まだ
千手川沿いです。


民家が見えてきました。道が分かれています。

右の道は小さな集落に入る道のようです。
畑口という集落です。

道なりに進みました。

右手が先ほど分かれた道の先にある
畑口の集落です。
こんな奥地ですがあまり寂れた感じはありません。
かなり道幅が狭くなりました。
左手にあった祠です。

一番上の漢字が読めません。
狭いです。
小さな橋を渡ります。

車だったらそろそろ不安になる感じ・・
うわ。まだ奥に集落がありました。
右手に立っている電波塔は
NTTドコモの
EX和歌山直川北(京都)です。

結構な数の民家があります。この辺りは
中畑という地区です。

地区の中の道は狭いです。

右手は私有地です。奥へ進みます。


左手にあった祠です。
大福山辯財天上り口との案内がありました。
小川地蔵尊と読めます。

左手に分かれる道が
大福山辯財天上り口だと思います。

奥はこんな感じ。この道は
別記事でご紹介します。

案内です。

地図ではここ。
大福山はこの範囲にはありません。
岬町との境にある山でかなり北です。

先に進みます。

まだ民家があります。

ここが
最後の民家です。

集落を抜けました。ゆるく下っています。

名も無い橋を渡ります。

左手は道ではありません。ちょっと広くなっています。

祠がありました。
牛神天神と書いてあります。牛の置物がたくさん置いてあります。

地図ではここ。GoogleMapの表示は
牛神神社です。

先に進みます。

墓の谷 参拝者の方へ・・と書かれた案内です。

ここからは奥は
林道 井関線です。

ここが起点で延長は1,123mです。

長くなりますのでここから先は次の記事で。
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